オンリーワンの”スーパーリーダー”を目指して。

ウィリアム・リー

President, eMembrane, Inc. William Lee氏

日本で学んだ化学工学、アメリカで学んだ遺伝子治療を融合。

会社を起業し、自身の知識・ノウハウを社会に還元。

オンリーワンの”スーパーリーダー”を目指して。

想像もしていなかった来日と人生の岐路をつくった学部選び                         

マレーシアのペナン島出身で、高校を卒業するまでそこで過ごしました。マレー系、中国系、インド系の3民族が住むマレーシアでは、それぞれの民族によって、小学校の授業構成も、使う言語も異なります。自分は中国系だったので中国語で授業を受け、加えて英語とマレー語を学びました。私たちは、小学生のうちから3つの言語を習得するのです。

子供の頃は、書道の授業が好きでした。小学校5年生の時、自己流で書いた隷書の作品をコンペに出展して、全国2位に選ばれたこともあります。絵画も好きで、「大きくなったら画家になる」と母親に言っては、「貧乏画家になってどうするんだ!」と叱られていました。

高校入学後は、周りに流されるように理系クラスへと進みましたが、実は、あまり理系科目に興味はありませんでした。私は東大の化学工学部出身ですが、高校時代は、化学なんて一番嫌いな科目でした。

海外に留学した叔父の影響もあって、小学生の頃から、海外の大学へ進学したいという思いがありました。しかし、高校卒業当時はドル高の影響もあって、アメリカの大学の授業料がべらぼうに高い。当初予定していた、アメリカ・コーネル大学への入学は諦めざるをえませんでした。欧米には行けないが、どこか海外に出るしかない。自分が日本に行くなんて想像もしていませんでしたが、父親の一声「日本に行ったら?」という言葉に背中を押され、気付けば、日本に来ていましたね。

日本語も一切わからないので、最初は日本語学校で1年間日本語を学び、その後、東大を受験しました。大学卒業後はマレーシアに帰り、日系の電子機器メーカーに勤めたいと思っていましたので、そのためには電子工学かな、と最初は電子工学科を受験する予定で、願書まで書いていたのです。しかし、たまたまその時に読んでいた、ブルーバックスの書籍『バイオテクノロジー―遺伝子工学が開く先端技術』に感銘を受けて……。郵便局で投函する前に、その場で願書を取り出して、希望学部を化学工学部に書き直しました。実際に入ってみると、高校の時の化学とは随分と違いますし、おもしろい。行ってよかったと、心から思います。    

                                                       

高分子材料の表面処理を研究しながら研究者+αの将来像を模索                                                

大学では、高分子材料の表面処理を研究していましたが、一方で、いろんなアルバイトも経験しました。日本の物価はマレーシアの3倍です。実家からの仕送りも、足りるわけがない。自分の生活費を稼ぐために様々なアルバイトを経験するにつれ、当時せいぜい中学生レベルだった日本語も、飛躍的に上達しました。夜の23時から朝の5時までアルバイト、それから家に帰って就寝するも、8時には大学に通学。毎日2〜3時間睡眠でした。入学して半年も経つと、徐々に日本語に不自由しなくなり、日本の企業で英語講師を務めたりもしました。

私が4年生の頃、日本経済はバブル最盛期で、就職も引く手あまたでした。しかし、もう少し研究を続けたくて、そのまま大学院に進んだのです。日本社会にも慣れてきて、自分が好きな研究をたくさんできる。その頃にはもう、マレーシアに帰ろうとはあまり考えていませんでした。将来は大学教授や研究者になるのかな、と漠然と思っていた。でも、同時に、自分は研究者には向いていない、とも思っていました。「こんなに一生懸命研究しても、論文やレポートを書くためだけに終わってしまうのか、社会に還元できないのだろうか」という思いがあったのです。モノづくりをすることで、自分の知識を社会に還元できる方法を模索していました。    

                                                                    

アメリカと日本の教育風土、研究文化の違いを体感    

大学卒業時、日本のいくつかの大学から、ポスドクのオファーを受けました。でも、日本に住んで早や10年、完全に日本社会に慣れて麻痺している自分を変えたかった。自分をどこかでリフレッシュしないといけないな、と思い、もう1回海外に出ることを決心しました。アメリカのいろんな大学に手紙を出し続けて66通目、最後の最後で、ハーバード大学の医学部に受かりました。

渡米後は、これまで研究してきた分野の延長線は避け、新しく遺伝子治療について学びました。「学んでいる遺伝子治療と、今まで自分が勉強してきたことを融合できないか。なんとか実用化したい」と思いながら、日々研究に臨んでいました。

 日米間の社会の違いが体感できたのは、私の大きな糧になりました。アメリカの研究室には、様々なバックグラウンドの人間が集まります。実際、人工皮膚の研究室であっても、そこに所属するのは、数学者や機械工学者、医者など、様々な人たちでした。ひとつの製品を開発するには、いろんな視点が必要だからです。モノづくりに対する考え方、見方が変わりましたね。「化学だけでは駄目だ」というのがわかる。喧嘩になるくらい質疑応答も激しいですよ。日本ではありえないですよね。先生の言うことはまちがいだ!なんて言える雰囲気はない。でも、アメリカではプロジェクトを成功させるために、上下関係は関係ない。ポスドクだろうが教授だろうが、みんなその時それぞれに役割があるから、その役割をきちんとこなせばいいのです。 

 

ベンチャーキャピタルで企業の成り立ちとスピリッツを学ぶ   

 アメリカでの2年間のポスドクを終えた後、日本のジャフコというベンチャーキャピタルに入社しました。海外を飛び回り、その会社が投資案件としてふさわしいかどうかを事細かに調査、評価していました。会うのはその会社の社長ですから、いろんな経営パターンを間近で見ることができ、勉強になりました。

 1年ほど経った頃、アメリカから連絡がありました。ポスドク当時指導教官だった人から、「申請していた特許が取得できそうだ」という吉報でした。彼から「もし会社を作るつもりなら、今の時期がいい」というアドバイスを受け、会社を辞めてアメリカへ戻り、一緒に起業することにしたのです。
投資会社であるジャフコに務めはしましたが、実際に会社をつくる方法なんて、全然わからなかった。今思えば、結構な挑戦、リスクですよね。まだまだ若くて向こう見ずだったのです。

 

自身の会社を起業                          

経営者としての新たな挑戦

会社では、抗体医薬の生産プロセスで使う、分離精製技術を研究開発しています。ライセンシングで取引先に技術を提供、ライセンス料をいただくという事業です。

起業した直後は、自分が学んだ知識を技術にして社会に還元できる方法なんて、わかりもしませんでした。研究者の時は、完璧なものを作りたかった。でも今の世の中はそうではないですよね。バージョンアップしていけばいいのであって、最初から完璧なものをつくる必要はありません。考え方が研究者の時とは逆になりました。研究所では、「いいものを作るから、それに応じてクライアントが増える」という考え方だった。今は、「クライアントが何か問題を持っていて、それをどんな技術で解決するか」という視点になりました。もちろん、どちらの考えが正しいとかではありません。そして大事なのは、「いかに性能がいいか、いかに安いか、いかに早いか」。クライアントは、技術なんて理解しません。クライアントそれぞれの問題を解決し、要求を満足させることができれば充分。それが求められているのだと、思っています。

 

目指してほしいのは、オンリーワンの“スーパーリーダー” 

自分が経験したこと、失敗したことを今の学生に伝えたい。日本の博士課程では、ひとつの研究を狭く深く学んでいきますが、もっと広く深く学びましょう。なるべくいろんな視点、様々なフィールドを経験することで、“オリジナリティ”を作っていく。それはとても大事だと考えています。

人はそれぞれ皆違うし、スーパーリーダーになるための方程式なんてない。皆が、ぞれぞれに自分の道、この世の中に必要とされる位置づけを見つけることですね。そのためには、なるべくいろんな分野、いろんなものに好奇心をもって、接触してほしい。そして、それらを融合していけば、新しいものになりますよ。

ある程度の頑固さは必要だと思います。自分が、あることを「やる」と決めたら、聞く耳は必要だけれども、期限を決めて、めげずにやっていく。何かを成し遂げるには、”10年単位”だと思います。モノを作るときも、10年間続けて成功すればバンザイ。10年間続けても成功しなかったら、もう仕方ないですね。諦めるしかない。スーパーリーダーに必要な資質は、頑固さと臨機応変さというところでしょうか。

結局、社会貢献するときに何が重要かというと、自分の知識・ノウハウです。博士号を取った後の行き先が、学術会だけではないことを知っておいて欲しいですね。「学位」とは、次のステージに行くときの切符です。次の駅に、次のステージに行けるというだけです。社会に出れば、修士号や博士号なんて、関係ないのですから。

私を見て、世の中にはこういう人生もあるのだなと、参考にしてくれればそれで充分です。あとは自分の人生をつくりなさい(笑)。

武者小路実篤の「この道より我を生かす道なし この道を歩く」という言葉が好きなんです。自分の好きなことをやりなさい、ということですね。学生にも自分なりに経験を積み、自分の人生を歩んでほしい。リーダーになる人もいれば、サラリーマンになる人もいる……それでいいんですよ。要は、自分が死ぬ前に後悔しなければいいのだと思います。あの人の人生のように自分も……というのは難しいですよね。どう頑張っても二番目です。ナンバーワンでなくてもいい、オンリーワンになりましょう。